written by 眉毛猫
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「第六天魔王」織田信長の麾下にいながら、反乱を企てた武将たち。
ある者は無残に散り、ある者はつかの間の天下を取りました。
後世の我々は、歴史の答え合わせが出来る立ち位置にいます。
彼らのドラマを紐解きながら、大きな時代の流れにどう逆らうべきか考えていきましょう。
織田信行
出典:「稲生原古戦場跡」 立花左近 wikimedia
織田信長の弟で、織田弾正忠家内の覇権を争いました。
1556年4月、林秀貞・林通具(林通勝)・柴田勝家らを率いて挙兵しましたが、稲生の戦いにて敗走。
母・土田御前にとりなされ、一度は許されます。
岩倉城の織田信安と通じて再び謀反を企てますが、配下の柴田勝家の密告により発覚。
その後、病に臥せったと偽った織田信長の見舞いに行き、暗殺されました。
家臣たちの力関係を見誤り、柴田勝家とライバル関係にあった津々木蔵人を重用したことが影響しています。
大うつけ者と呼ばれた織田信長とは対照的に折り目正しい若者でしたが、最後の最後で人心を掌握しきれずに裏切られてしまいました。
浅井長政
出典:「浅井長政像」 高野山持明院像
織田信長の妹・お市と婚姻し、織田家と同盟を組みます。
1570年4月に織田信長が「朝倉攻めをしない」という約束を翻したことにより、決裂。
浅井長政は朝倉勢に呼応する形で織田・徳川軍を攻撃しますが、取り逃がしてしまいます。
その後姉川の戦いにて大敗を喫しましたが、第一次・第二次信長包囲網の中で重要な役割を果たし、織田信長を苦しめました。
しかし形勢が逆転し、朝倉義景が撤退して自刃してからも降伏できないまま、居城の小谷城は落城。
助命させようとしていた父・浅井久政の死を知り、自刃して果てました。
浅井長政が活躍したのは、本願寺や一向衆、武田信玄などが織田信長に敵対していた時期でした。
織田信長に味方していれば、相当な功績を挙げられたはずです。
朝倉家との関係にこだわってさえいなければ、歴史は変わっていたことでしょう。
松永久秀
出典:「芳年武者牙類:弾正忠松永久秀」 月岡芳年
主家である三好家を乗っ取り、将軍足利義輝を暗殺し、東大寺を焼き討ちした「梟雄」。
第二次信長包囲網に乗じて織田信長に敵対しますが、なぜか許されます。
しかし本願寺攻めの最中に単独で離脱、信貴山城に立てこもり、再び謀反を起こします。
織田信長は、上洛してくる上杉謙信を迎撃している最中でした。
上杉軍がいるから、織田信長は大軍を動かせまいと踏んだ松永久秀でしたが、その予想は外れました。
天下の名器である古天明平蜘蛛とともに、信貴山城天守で爆死。
享年68歳。
上杉軍の動きが止まったと報せを受けてから、わずか2日で、4万の兵を差し向けることができた織田信長の情報の速さ、判断の素早さの前に敗北しました。
荒木村重
出典:「太平記英勇伝三十八:荒木摂津守村重」 落合芳幾
羽柴秀吉の副将であった荒木村重ですが、突然三木城の戦線を離脱し有岡城に帰城してしまいます。
織田信長が明智光秀・松井友閑・万見重元などに説得させますが、荒木村重は聞き入れません。
1578年12月から、毛利の援軍を待ち、籠城戦を開始します。
兵糧攻めに苦しんだ荒木村重は、なんと身の回りの者と共に尼崎城に逃げてしまいます。
荒木一族は、女性や子供まで容赦なくなで斬りにされました。
その後織田信長が本能寺で横死したため、荒木村重本人は生き延びることに。
「荒木道薫」と名を変え「利休七哲」の一人となりました。
毛利の援軍が頼みだったことからも見て取れるように、荒木村重には織田信長と渡り合えるだけの力はなかったと言えます。
自分と相手の力量を見誤ったがゆえの結果です。
明智光秀
出典:「明智光秀画像」 本徳寺所蔵
明智光秀は、中国遠征の途中、織田信長が手勢100人ほどを連れて本能寺に宿泊しているところを襲撃。
織田信長を自害に追い込みました。
1582年6月21日、本能寺の変。
織田信長の死を知った羽柴秀吉の「中国大返し」が行われます。
明智光秀が想定するより、羽柴軍の到着は早かったのです。
新政権樹立どころか、体制を立て直すこともままならぬうちに、明智光秀は羽柴秀吉によって討ち取られてしまいました。
絶好のチャンスを手に入れ、織田信長を倒した明智光秀。
羽柴秀吉の情報の速さと機転の前に、たった11日間で負けてしまったのです。
次の一手がない場当たり的な反乱だったと言えるでしょう。
まとめ
織田信長のような強烈な「時代の寵児」に逆らうのは並大抵のことではありませんでした。
反逆者たちの敗因には、どこか同じ匂いがします。
時流、チャンスに乗り切れなかったこと。
情報をうまく使いこなせなかったこと。
この「情報戦」を制した者こそが戦国時代を制してきたと言えるのではないでしょうか。
正確な情報を常につかみ、判断を素早く下すことが必要なのは、いつの時代も同じなのですね。
私たちも先人から学び、時代を変えていきましょう。
参考資料
- 戦国武将列伝Ω 武将辞典
https://senjp.com/ - 『戦国人物700傑』 新人物往来社 2001年
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眉毛猫
以前は紙媒体のコピーライターでしたが、2020年10月からWebライターとして活動しています。 |
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