人物エピソード - 明治維新のきっかけとなった偉大な決断者 井伊直弼の生き様とは

江戸時代末期、200年以上平和に鎖国を続けていた幕府は一転、日本史上最大の危機を迎えます。欧米諸国の開国圧力は日本中を動揺させ、現実を受け入れて国是を変えるか、外交の危機を承知で国是を守り続けるか、二者択一の決断を迫られます。そのような中で、
・米国と日米修好通商条約を結び、国是を変える決断をした
・変化に伴う混乱を強硬手段で抑え、日本の秩序を守ろうとした
人物が大老、井伊直弼です。「非情な独裁者」、「開国の英雄」の両側面を持つ彼の実績について、今回は触れてゆきたいと思います。
井伊直弼の生涯
井伊直弼は彦根藩第11代藩主、井伊直中の14男として1815年に生を受けます。当初は世継ぎを期待されておらず、30歳過ぎまで主に茶道や学問に打ち込む生活を送っていました。しかし12代藩主、直亮の養子直元が死去したため跡継ぎとなり、1850年、35歳の時に藩主となりました。彦根藩主としての彼は先代の遺産を領民に分配するなど仁政を敷き、今でも地元彦根では名君として讃えられています。その後、ペリー来航に関して意見を奏上し、開国の問題に携わるようになり、その後朝廷との問題を調整し、大局を乗り切れる人物として大老に推挙されます。大老としては日米修好通商条約の調印に携わり、また、混乱した政局の安定に努めましたが、その強権的な手法が反感を買い、1860年、桜田門外の変で凶刃に斃れることになります。
井伊直弼の名言・格言
-
あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな
桜田門外の変の直前、井伊家の菩提寺に収めた短歌です。彦根城下の琵琶湖の風景に重ねつつ、自身が世のために尽くしてきたことを詠んでいます
(彦根城 井伊大老歌碑解説を参考)
-
重罪は甘んじて我等一人に受候決意
日米修好通商条約の調印を決定した夜、再考を促した家臣に対しての一言です。国是を変えてしまった罪は自分1人で被るといった、悲壮な決意を伝えています。
井伊直弼の関連記事
![]() | 井伊直弼 日本の開国と近代化を進めた赤鬼 名言と生涯 |
井伊直弼の成果や実績
最大の危機に対する決断
井伊直弼が大老に就任した際、江戸幕府は開設以来最大の危機を迎えていました。米国からは日米修好通商条約の調印を要求されており、決裂した場合、米国もしくは他国からの武力行使すら予想される状況でした。また、内に目を向けると、朝廷が条約調印に反対の意志を表明し、幕府内でも支持者が相次いだため、国内が分裂寸前の状況でした。
井伊直弼は混乱を収めるため、朝廷への交渉を最後まで試みます。しかし、朝廷が態度を変えないと判断すると条約の調印を決断し、米国との交渉の責任者、岩瀬忠震に対してついに調印の許可を与えます。ここに日本の国是は大きく転換することになります。
安政の大獄と暗殺
朝廷の許可なき条約の調印、国是の大転換は大きな波紋を広げました。朝廷やそれを支持する尊王攘夷派は将軍の世継ぎ問題などを絡めて幕府と激しく対立し、幕府への不服従や外国船への攻撃など、日本は分裂状態になります。一歩間違えると外国の植民地ともなりかねない状況で、彼は非情な決断を下します。いわゆる安政の大獄で、100人以上の尊王攘夷派が処刑、投獄されました。政局は一時的に安定しますが、この弾圧は激しい恨みを買い、翌年には彼は暗殺され、幕府の権威も大いに揺るぎます。
井伊直弼の決断の評価
彼の決断は過酷なもので、自らの命を奪い、幕府滅亡の遠因ともなりましたが、その後の歴史は彼の決断の正しさを証明しています。日米修好通商条約の調印で日本は市場開放を強いられましたが、領土の主権は侵害されませんでした。また、不平等の代表である関税自主権の喪失についても税率は欧州諸国とほぼ等しく、輸出、輸入双方で日本は恩恵を被ります。
また、安政の大獄で尊王攘夷派の力が削がれたことで、外国との無秩序な衝突は抑えられ、即座の内戦も回避されました。その後、日本は大政奉還から戊辰戦争を経て明治維新を迎えますが、領土の主権と国家の秩序を守った日本は、他のアジア諸国に先駆けて近代化への道を歩むことになります。
井伊直弼の愛用品や大切にしていること
脇指銘 長曽祢興里入道乕徹
登城する際の殿中差として使用していました。虎徹は刀としての実用性と美しさを兼ね備えており、彼の政治、文化両方に秀でていた様子を象徴しています。
茶湯一会集
井伊直弼は江戸時代後期を代表する茶人でもありました。茶道の石州流に新しい一派を設け、その考えをまとめたものが本書です。巻頭に記された「一期一会」の言葉は非常に有名です。
まとめ
日本史上の最大の危機の中で、井伊直弼に課された使命は非常に過酷なものでした。しかし、彼が決断し責任を取ったことが、日本を破局から救い、後の繁栄への礎となりました。徳川慶喜も彼の評価として「決断力」を挙げています。先を見据えたリーダーとしては時に周りに理解されない、非情な決断が必要になることを彼の歴史から学ぶことができます。
参考資料
- 『彦根城博物館展示』
・https://hikone-castle-museum.jp/history/naosuke.php - 彦根城博物館『井伊直弼の大老政治について 作られた評価』
・http://www.omotesenke.jp/list2/list2-2/list2-2-4/ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/井伊直弼
https://ja.wikipedia.org/wiki/安政の大獄
https://ja.wikipedia.org/wiki/日米修好通商条
井伊直弼の関連記事
![]() | 井伊直弼 日本の開国と近代化を進めた赤鬼 名言と生涯 |
人物エピソード - 明治維新のきっかけとなった偉大な決断者 井伊直弼の生き様とは