日本の名言・格言 - 上杉鷹山(治憲) 大統領にも尊敬された江戸時代の名君 名言、生涯
上杉鷹山(治憲)の生涯、名言などを紹介します。
上杉鷹山(治憲)とは

- 日本の大名、武士
- 江戸時代の米沢藩主であり、厳しい財政難の米沢藩の改革を進め、多くの人々から尊敬されている人物
- わずか17歳で上杉家の養子となり、財政改革や農村振興、新産業開発を成功させた
- 天明の大飢饉には、餓死者を出さず、農村振興を実現させた
- 35代アメリカ大統領であるジョン・F・ケネディが日本で最も尊敬する政治家として述べた逸話がある
上杉鷹山(治憲)の出身・生涯
- [1751年~1432年]
- 日向国(宮崎県内)の高鍋藩の藩主である秋月種美の次男として生まれる
- 1760年、10歳のとき、米沢藩(山形県内)の藩主である上杉重定の養子となる
米沢藩は深刻な財政難に陥っていた - 1766年、元服し、将軍より偏諱を与えられて治憲と改名する
- 1767年、重定が隠居し、上杉家の家督を継ぐ
- 1773年、改革に反対する重臣の強訴(七家騒動)が勃発したが、これを収め、主導した重臣は切腹や改易となる
- 竹俣当綱を執政とし、莅戸太華らを登用し、質素倹約、農村復興、養蚕・織物の開発、藩校「興譲館」の創設などを行った
- 1782年からの天明の大飢饉にも、餓死者を出さなかったといわれている
- 1785年、前藩主の重定の実子である上杉治広に家督を譲り、その後も藩政を支える
- 1795年、米沢北部に農業用水「黒井堰」が完成する
- 1799年、飯豊山に導水トンネルを掘り、白川に引水する大工事に着手し、1818年に竣工する
- 1802年、剃髪して鷹山と号す
- 1822年に死去する
上杉鷹山(治憲)の名言・格言
上杉鷹山(治憲)の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは上杉鷹山(治憲)の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 言行ととのわず、賞罰正しからず、不順無礼これ無き様、慎み申す可く候。
出典:上杉治憲誓詞
言行の不一致や、賞罰の不平等、不順無礼が無いように慎むことを神明に誓ったときの言葉。 - 為せばなる為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり。
出典:上杉家文書 - 上に居りて奢らざれば、すなわち、危うからず。
出典:上杉治憲誓詞 - 一村は、互いに助け合い、互いに救い合うの頼もしきこと、盟友の如くなるべし。
出典:伍什組合の仰合 - 国家は先祖より子孫へ伝え候。
国家にして我私すべき物にはこれ無く候。
人民は国家に属したる人民にして、我私すべき物にはこれ無く候。
出典:伝国の辞 - 誠、愛を生じ、愛、智を生ず。
ただ誠なり。
出典:内村鑑三「代表的日本人」 - 天下のもとは国、国のもとは家なり。
家のととのうと云うも、一家の内は、男女正しきがそのもとなり。
そのもと乱れて末納まることはなきことなり。
出典:内村鑑三「代表的日本人」
出典、参考リンク
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