日本の名言・格言 - 上杉定正 太田道灌を殺害した扇谷上杉家の当主 名言、生涯
上杉定正の生涯、名言などを紹介します。
上杉定正とは

- 日本の武将、守護大名
- 室町時代の後期の守護大名であり、扇谷上杉家の当主
- 山内上杉家を支え、古河公方との対峙や長尾景春の乱を抑える
- 名将として知られる太田道真・太田道灌の活躍により、扇谷家の勢力は大きく拡大するが、後に道灌を殺害する
- 南総里見八犬伝の登場人物としても知られる
上杉定正の出身・生涯
- [1443年~1494年]
- 扇谷上杉家の当主である上杉持朝の子として生まれる
- 古河公方の足利成氏と、関東管領である山内上杉家との全面戦争で、扇谷上杉家は山内上杉家を支える
- 1473年、扇谷上杉家の当主である甥の上杉政真が古河公方の足利成氏に敗れて戦死し、扇谷上杉氏の当主となる
- 上杉顕定と共に古河公方足利成氏と対峙する
- 顕定の臣である長尾景春が乱を起こした際は、家老の太田道灌と共に景春を攻める
- 1482年、長尾景春は没落し、成氏とも和睦が成立する
- 扇谷上杉氏は相模と南武蔵を支配する大勢力に成長する
- 1486年、功臣である太田道灌を殺害する
上杉顕定による策略に陥ったとも、道灌の勢力拡大を恐れたともいわれる - 道灌の子・太田資康や多くの家臣が離反し、上杉顕定の参加に入る
- 上杉顕定と不和になり、1488年に戦争に突入する
- 1493年、伊豆国において堀越公方である足利茶々丸を追放する
- 1494年、と結び、上杉顕定を攻めるが、武蔵高見原の陣で落馬し死去。
上杉定正の名言・格言
上杉定正の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは上杉定正の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 日に三度わが身を省みることは成るべからず。
責めて、わが身の過ちを日に一度、下人式にまで、これを聞くべし。
出典:上杉定正 遺言状 - 徬輩緩怠を成し懸け候とも、取り合うべからず候。
諸人に某の落ち度お告げ承り候へと聞くべし。
出典:上杉定正 遺言状
出典、参考リンク
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