日本の名言・格言 - 長宗我部元親 四国を席巻した戦国武将 名言、生涯
長宗我部元親の生涯、名言などを紹介します。
長宗我部元親とは

- 日本の武将、大名
- 戦国時代に土佐国から四国まで領地を広げる
- その後、豊臣秀吉に降伏し、領地は土佐国のみに減知となる
長宗我部元親の出身・生涯
- [1539年~1599年]
- 1539年、土佐国の一大名である長宗我部国親の嫡男として生まれる。
- 1560年、国親が急死し、家督を相続する。
- 1570年前半、土佐国司である一条兼定を追放し、土佐国を平定した。
- 織田信長と同盟を結び、四国の各国へ侵攻し、阿波・讃岐の多くを平定する。
- 1580年、織田信長は元親に対して土佐国と阿波半国のみの領有として臣従するように要求し、それを拒絶。
- 1581年、織田信長と対立し、一部領土を失ったが、1582年に織田信長は本能寺の変で死去。
- 1582年、阿波国を平定する。
- 1583年、柴田勝家と結んで豊臣秀吉と対立するが、柴田勝家は秀吉に敗北
- 1584年、織田信雄と徳川家康と結んで秀吉に対抗するが、織田信雄は秀吉と和睦
- 1585年、伊予国を平定する。
- 同年、秀吉は四国に対して大規模な軍を侵攻させ、元親は秀吉に降伏し、土佐国のみに減知される。
- 1586年以降、秀吉の九州征伐や小田原征伐にも参加。
- 1592年の朝鮮出兵にも参加。
- 1598年、秀吉が死去、元親は1599年に死去。
- 晩年は、九州征伐の際に息子である信親が戦死し、性格が一変し、家を混乱させたと言われている
長宗我部元親の名言・格言
長宗我部元親の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは長宗我部元親の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 一芸に熟達せよ。
多芸を欲張るものは巧みならず。 - 悪い時代に生まれ来て、天下の主になり損じ候
日本の名言・格言 - 長宗我部元親 四国を席巻した戦国武将 名言、生涯