日本の名言・格言 - 高杉晋作 明治維新への礎を作った短命の志士 名言、生涯
高杉晋作の生涯、名言などを紹介します。
高杉晋作とは

- 日本の武士
- 幕末の長州藩の藩士であり、尊王攘夷の志士として奇兵隊を創設し、長州藩を倒幕に向かわせた
- 24歳のとき、外国連合に下関の砲台を占拠された際には和議交渉を行う
- 藩の実権を握り、第二次長州征伐では海軍総督として幕府軍を撃退する
高杉晋作の出身・生涯
- [1839年~1867年]
- 長州藩士である高杉小忠太の長男として生まれる
- 1852年、藩校の明倫館に入学する
- 1857年、吉田松陰が主宰する松下村塾に入塾する
- 1861年、江戸へ渡り、東北遊学する
- 1862年、幕府使節随行員として中国の上海へ渡航する
- 桂小五郎(木戸孝允)や久坂義助(久坂玄瑞)とともに尊攘運動に加わる
- 1863年、長州藩は外国船へ砲撃し、アメリカ・フランスの報復で惨敗する(下関戦争)
- 下関の防衛を任せられ、奇兵隊を結成するが、藩の隊士が殺害された教法寺事件の責任を問われて罷免される
- 1864年、脱藩の罪で投獄される
- イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4か国連合艦隊が下関の砲台を占拠し、晋作は赦免されて正使として和議を結ぶ
- 伊藤俊輔(博文)や石川小五郎らと功山寺で挙兵し、1865年には藩の実権を握る
- 1866年、薩長同盟が実現し、第二次長州征伐では海軍総督として戦闘指揮を執り、幕府軍を撃退する
- 1867年に死去する
高杉晋作の名言・格言
高杉晋作の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは高杉晋作の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 一日の遅れは百歩の後退だ
高杉が起こした武力衝突事件「功山寺決起」での言葉とされています。当時の長州藩は改革派と保守派に分かれていました。改革派の高杉は、幕府に寄り添う保守派の態度に「長州藩が幕府の言いなりになって潰れてしまう」と危機感を覚えてクーデターを起こします。外国が襲撃してくるかもしれないという脅威の中、数千人の保守派を相手に戦いを仕掛けるのは暴挙ともいえるものでした。しかし、高杉は命の賭けどころをわかっていたのでしょう。このクーデターは見事成功し、一気に日本全国が倒幕に傾くことになるのです。 - 此説は、心中の乱れ糸の如く、学問の方向分明に相見えがたく、思案に尽きいり候。
若いとき、学問を学ぶ中で現体制への矛盾を感じ、心中が乱れ、学問の方向が見えず、思案に尽き果てたことを述べています。 - 二州之人をして、洋術を学ぶしむにあり。
尊皇攘夷を進めるにしても、まず長門、周防の両国の人々に洋術を学ばせることが急務であることを述べています。 - 鎖国の説は一時は無事に候えども、宴安姑息の徒の喜ぶ所にして、終始遠大の御体計に御座なく候。
宴安姑息:遊び暮らし、目前の安楽を求めること - 奇兵隊之儀は有志之者相集候儀に付、
藩士・陪臣・雑卒を不選、同様に相交り、
専ら力量を貴び、堅固之隊相調可申と奉存候
出典:奇兵隊結成綱領
奇兵隊の結成に伴い、藩に提出した奇兵隊の方針の一部です。
奇兵隊は有志が集まっており、身分に関係なく、同様に交わり、力量を蓄え、堅固の隊を調えるものだと述べています。 - 此説は、日夜、強気起こり、一日も君のために死に度き心持に相成り、何とぞよろしき死に場御座なく候や。
国事を憂い、主君のために決死の覚悟で死に場を求める心境を表したとされています。 - 然は、私儀当地立て罷り下り候所、殊ほか混雑驚き下り候次第に御座候につき、
此中の敗軍愧恥に堪えず候、何卒恥を雪ぎ候はんと思慮つかまつり候所、
惣奉行の指揮に御座候事故、如何とも為しがたく、遂に有志隊を相調え候と決定つかまつり候
出典:前田宛書簡 (笹部昌利『幕末維新人物新論』より)
前田孫右衛門に宛てた書簡で、奇兵隊の結成におけるう敬意を説明したものです。
書簡では、下関でのフランス軍艦の報復に敗退したことに危機感を覚え、止むをえない手段として奇兵隊を結成し、そのことを藩に説明してほしいと記されています。 - 万物元来始終有り
人生況や百年の躬少なし
名を競い利を争う営々として没す
識らず何の娯しみか此の中に存せん
この詩では「百年生きる人など少ないというのに、人々はひたすら名誉を競い、利を争うばかりだ。一体、そこに何の楽しみがあるというのか」と述べられています。
高杉は名誉や地位にこだわらず、国のために行動していた人物ということが読み取れます。 - 余も世間の愚者とならんことを願い、漸々苦穴に陥る迄に勉強致せり。
余に世間の利発者流の人は、吾が志を知らざる者なり。 - 支那のかくの如く衰微せし者は何故ぞと、看考仕り候に、畢竟(つまるところ)、彼れ外夷を海外に防ぐの道を知らざるに出でしことに候。
出典:遊清目録
高杉晋作の愛用品 、尊敬する人物
高杉晋作の愛用品 、尊敬する人物 を紹介します。
高杉晋作の大切にしていることを知り、深く理解するための手がかりになります。
- 好物:酒(悦凱陣)
長州藩から命を狙われていた高杉晋作は、琴平という場所に逃げ込みます。琴平では丸尾本店という酒蔵に何度も出入りし、匿ってもらっていたようです。丸尾本店の「悦凱陣」という酒を好んで飲んでいたと伝わっています。 - 菅原道真
無実の罪で左遷を受けながらも天皇への忠誠を忘れなかった菅原道真のことを厚く信仰していました。
彼が創設した奇兵隊は「菅原大神」と書かれた守護旗を掲げていたといいます。
高杉晋作の愛用品
高杉晋作の尊敬する人物
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