日本の名言・格言 - 高島嘉右衛門 横浜の父 名言、生涯
高島嘉右衛門の生涯、名言、関連動画などを紹介します。
高島嘉右衛門とは

- 日本の実業家
- 横浜への鉄道敷設の提案など、横浜が繁栄する土台を築き、町名にも名を残した
- 材木商に始まり、ガス事業やセメント事業、学校設立や横浜と函館間の郵便船の運行など、幅広い事業を成功させる
- 若い時に金取引で投獄され、牢内で「易経」と巡り会い、易聖と呼ばれるまでになる
高島嘉右衛門の出身・生涯
- [1832年~1914年]
- 材木店「遠州屋」の手代である遠州屋嘉兵衛の第6子として生まれる
- 14歳頃、嘉兵衛の材木商や盛岡藩の鉱山経営に関わり、19歳の時に家督を継ぐ
- 1859年、伊万里焼や白蝋を販売する肥前屋を横浜に開店する
- 1860年、金貨と銀貨交換や外国人への小判密売により5年間牢に入れられる
- 1865年、釈免後に材木商を始める
- 1867年、横浜の尾上町に旅館「高島屋」を設立する
- 1870年、鉄道敷設のために横浜港埋め立て事業を行う
- 1871年、横浜と函館間の郵便船を運行する
- 愛知セメント株式会社を設立や帝国貯蓄銀行の開業にも関わる
- 1914年に死去する
高島嘉右衛門の名言・格言

高島嘉右衛門の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは高島嘉右衛門の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 尽く易を信ずれば則ち易無きに如かず
出典:高木彬光『「横浜」をつくった男 - 易聖・高島嘉右衛門の生涯』
死の数日前に突然語ったとされています。
彼は事業家としてだけではなく、高島流易断の創始者としても有名ですが、占いを盲信するのではなく、自分で考え、判断することの重要性を説いたと考えられます。 - 我元と罪なし故らに越獄するを用いず
出典:国立国会図書館アーカイブス
投獄生活中に脱獄を持ちかけられ、断った際の言葉です。
計画は露見し未遂となりますが、後に減刑されて出所し横浜に移ります。
本人は出所が近いことを読んでいたのでしょう。
高島嘉右衛門の愛用書
高島嘉右衛門の愛用書 を紹介します。
高島嘉右衛門の大切にしていることを知り、深く理解するための手がかりになります。
- 高島易断
晩年に易占に関する研究に没頭した高島嘉右衛門はその思想を「高島易断」としてまとめます。
その言葉は日本における占いの代名詞として今尚用いられています。 - 易経
東洋占術の起源として知られる古書です。獄中生活中に発見し、易経を改めて学んだ彼は後年、それを自身の決断によく用い、また、著名人からの相談にも活用したといいます。
高島嘉右衛門の愛用書
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高島嘉右衛門の関連動画
高島嘉右衛門の関連動画を紹介します。
高島嘉右衛門の生き方や考え方について、より深く知るために参考になる動画です。
説明動画 『【雑学・豆知識】高島易断:高島嘉右衛門【占いは、売らない】』 2019年
動画配信元:ボイスブック・朗読ラジオチャンネル
説明動画 『第1256回 高島嘉右衛門』 2018年
動画配信元:ゆめラジオ
出典、参考リンク
高島嘉右衛門の関連書籍 Wikipedia dl.ndl.go.jp hamarepo.com tohatsu.city.yokohama.jp
yurindo.co.jp dl.ndl.go.jp hamarepo.com tohatsu.city.yokohama.jp yurindo.co.jp
日本の名言・格言 - 高島嘉右衛門 横浜の父 名言、生涯