日本の名言・格言 - 島津義弘 武勇名高い鬼島津 名言、生涯
島津義弘の生涯、名言などを紹介します。
島津義弘とは

- 日本の大名
- 武勇に優れ「鬼島津」という異名でも知られる薩摩国の大名
- 兄の島津家16代当主の島津義久とともに九州を大半を勢力に収める
- 後に剃髪して「惟新斎」と号する
島津義弘の出身・生涯
- [1535年~1619年]
- 島津義久は島津貴久の次男として生まれる
- 貴久は島津氏の旧領土の薩摩・大隅・日向の三州を制圧を進め、貴久の死から一年後に兄の島津義久とともに成し遂げる
- 1566年に義久は家督を継ぎ、弟の島津義弘・歳久・家久と共に九州統一を目指す
- 戦では島津軍の総大将として指揮を執ることもあった
- 織田信長の台頭により島津家は信長に従うことを決めるが、1582年に信長が殺される
- 1580年代、九州の多くを制圧
- 豊臣秀吉から戦を止めるように要求があるが、島津家はそれを拒否
- 1587年、豊臣秀吉に降伏し、領土の多くを失う
- 1600年の関ヶ原の戦いにおいて、島津義弘は西軍に加担することになるが、義久らは動かなかった
- 1602年、島津家は徳川家康から領土安堵され、家督を譲る
島津義弘の名言・格言
島津義弘の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは島津義弘の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 軍隊は滅亡すべき状況に投げ入れてこそ始めて滅亡を免れ、死すべき情況におとしいれてこそ始めて生き延びるのである
- たとえ討たれるといえども、敵に向かって死すべしと思う
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