日本の名言・格言 - 太田道灌 江戸城を築いた名将 名言、生涯
太田道灌の生涯、名言などを紹介します。
太田道灌とは

- 日本の武将
- 扇谷上杉家の家臣であり、深い教養と高い道徳を持つ一流の武将として知られる
- 古河公方との対峙や長尾景春の乱で活躍し、扇谷上杉家の拡大に貢献する
- 足軽軍法に優れた武将であり、学問や和歌にも長じていた
- 江戸城や岩槻城、河越城を築城したことで有名である
太田道灌の出身・生涯
- [1432年~1486年]
- 扇谷上杉家の家宰を務めた太田資清の子として生まれた
- 古河公方の足利成氏と、関東管領である山内上杉家との全面戦争で、扇谷上杉家は山内上杉家を支える
- 1456年、資清から家督を譲られ、父とともに扇谷上杉を支え、古河公方の足利成氏と戦う
- 1456年から道真とともに河越城(埼玉県川越市)、岩槻城(埼玉県さいたま市)を築く
- 1457年、江戸城を築いて居城とする
- 1467年、京都では応仁の乱が勃発し、同年には上杉持朝が死去して上杉政真が扇谷上杉家の当主となる
- 1473年、上杉政真が古河公方の足利成氏に敗れて戦死し、上杉定正を新当主として擁立する
- 1476年、山内上杉憲定の家臣である長尾景春が乱を起こした際は、三十余度も戦いを交え、戦功を上げる
- 1482年、長尾景春は没落し、上杉家と成氏との和睦が成立する
- 1486年、主君である上杉定正により、相模糟屋の館で暗殺される
- 定正は、上杉顕定による策略に陥ったとも、道灌の勢力拡大を恐れたともいわれる
太田道灌の名言・格言
太田道灌の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは太田道灌の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 小机はまづ手習ひの初めにて いろはにほへと散り散りになる
兵士の戦闘意欲を掻き立てるために読んだ戯れ歌 - 屏風は真っすぐだと倒れます。
屏風は曲がっているからこそ役に立ちます。 - かかる時さこそ命の惜しからめ かねて亡き身と思い知らずば
出典:常山紀談
出典、参考リンク
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