日本の名言・格言 - 大山巌 ぼんやりしているから司令官に選ばれた? 名言、生涯
大山巌の生涯、名言などを紹介します。
大山巌とは

- 日本の武士、軍人
- 日清戦争、日露戦争では司令官として日本の勝利に大きく貢献した陸軍軍人
- 東郷平八郎と並んで「陸の大山、海の東郷」とも評され、度量が広く、人身掌握の術に長けたとされる
- 西郷隆盛・従道は従兄弟になり、西郷隆盛や山県有朋に目を掛けられた
大山巌の出身・生涯
- [1842年~1916年]
- 鹿児島城下の加治屋町において薩摩藩士である大山綱昌の次男として生まれる
- 1862年、大坂に出て倒幕運動に参加するが、帰国後に謹慎処分となる
- 薩英戦争で謹慎を解かれ、砲台に配属されて初めて戦闘に参加する
- 1864年、江戸の江川英龍の塾で学び、砲術の免許皆伝を得る
- 戊辰戦争では西郷隆盛の幕下において砲隊長として活躍する
- 1869年、渡欧し、普仏戦争などを視察し、パリやスイスでフランス語や砲術を学ぶ
- 1874年、帰国して33歳で陸軍少将となる
- 1877年、西南戦争では第5旅団司令官として田原坂・城山攻防戦での勝利に貢献する
- 1880年、陸軍卿となり、参謀本部長、陸軍大将などを歴任する
陸軍大学校の開校や東京湾砲台の建設を実現する - 陸軍大臣に就任し、兵制をフランス式からドイツ式に転換を図り、海岸防備体制はフランス式を採用する
- 1894年、日清戦争では第2軍司令官として出征する
- 1904年、日露戦争では参謀総長に対する総司令官を務める
- 公爵の位を与えられ、1914年からは内大臣を務める
大山巌の名言・格言

大山巌の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは大山巌の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 私はぼんやりしているから司令官に選ばれたわけですか。
出典:東洋証券「ひと息コラム 第47回:巌と捨松」
明治天皇より日露戦争の満州軍司令官に選ばれた際、そのように尋ね、明治天皇は「そんなところだ」と答えたという逸話があります。 - 筒音が聞こえぬようじゃっどん、今日は戦っさはありもはんか。
出典:秋月達郎「大山巌と児玉源太郎~相思相愛の上司と部下」 PHPオンライン衆知
日露戦争の沙河会戦においてロシア軍の動向がつかめない中、昼頃にのんびりと起き、ロシア軍の動きを察したといわれています。
大雑把にも見える言動が多く残されていますが、些細なことにも注意する几帳面な気質があり、様々な状況の変化に気を配っていたともいわれています。 - 俺はじっと待つのが仕事じゃわい。
出典:柘植久慶「大日本帝国軍人の言葉」
日露戦争において参謀である児玉源太郎に対して大きな信頼を置いていたことがわかる言葉です。 - 知っちょっても知らぬふりすることよ。
出典:大山格「曾祖父は「君が代」を制定していない」 日本文化の入り口マガジン 和樂web
大山巌の息子が総司令官として一番苦しかったことは何かと尋ねたときに答えた言葉とされています。
出典、参考リンク

日本の名言・格言 - 大山巌 ぼんやりしているから司令官に選ばれた? 名言、生涯