日本の名言・格言 - 二宮尊徳 逆境を切り拓き、多くの農村を救った指導者 名言、生涯
二宮尊徳の生涯、名言などを紹介します。
二宮尊徳とは

- 日本の農家、教育者
- 江戸時代末期に関東や南東北の農村復興や飢餓救済を成功させた人物
- 十代で父母を亡くし、土地も失い、不自由な環境を強いられるが、倹約と勤労によって20代で家を復興させた
- 独特の農業法と、持続性のある復興方法、社会還元の思想をもって、小田原や日光、桜町などの600村以上を復興させたといわれる
- 「報徳精神」や「報徳仕法」は、尊徳の子孫や弟子たちに受け継がれ、明治や昭和時代の財界人・実業家に多大な影響を与えた
二宮尊徳の出身・生涯
- [1787年~1856年]
- 相模国足柄上郡栢山村(神奈川県小田原市)の百姓の長男として生まれる
- 比較的裕福な農家であったが、5歳のときに酒匂川が氾濫して一帯が濁流に流され、復旧のために家計が貧しくなる
- 1800年、14歳のときに父が死去し、その2年後に母が死去する
- 伯父に預けられ、作業の合間に空き地に苗を植えて収穫する
- 1804年、叔父の家を離れて親族の家に寄宿し、20歳の頃に生家で再興に着手し、24歳で一町四反歩の農地を所持し、一家の再興に成功する
- 1809年、小田原藩の家老である服部十郎兵衛が家計の立て直しを依頼し、倹約と借入金の運用により成功させる
- 1822年、藩主の分家である宇津氏の領地である下野国桜町(栃木県真岡市)の復興を命じられ、1837年にかけて復興させる
- 1840年、小田原付近の農村救済のため、独自の報徳仕法を実施する
- 1842年、老中の中水野忠邦より、普請役格として幕府役人に取り立てられる
- 日光神領、烏山、下館、相馬など、茨城・栃木県の北関東各地において指導を行う
二宮尊徳の名言・格言

二宮尊徳の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは二宮尊徳の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 書は人を救うの道を載するものなり。
故にこれを読んでその心を存ぜざれば、すなわち何の益かこれあらん。
出典:二宮先生語録
書物は人を救うための道が書かれているものだから、書物を読むときに人を救う心を持たなければ、書物に何の益があるのかわからなくなると述べています。 - およそ小人の常、大いなることを欲して小なる事を怠り、出来難き事を憂ひて出来易き事を勤めず。
それ故、終に大いなる事をなす能わず。
出典:二宮翁夜話
小人の常として、大きな事を成し遂げたいと欲して、小さいことを怠り、自分には出来ないと嘆くことが多いと述べています。
小さいことをいい加減にしていると、大きな事を成し遂げることはできないと戒めています。 - 家業を出精するを欲深しと思うなり、大だいなる誤りと云ふべし。
家業は出精せねばならぬ物なり。怠りては済まぬものなり。
欲はそれとは違い、押えねばならぬものなり。
出典:二宮翁夜話
家業と欲とを混同し、家業に精を出す者を欲深いと思う人が多いが、家業は精を出して怠らずに働くべきものであり、欲は抑えるべきものであると述べています。 - 人の神魂について生ずる心を真心という。すなわち道心なり。
身体について生ずるを私心という。すなわち人心なり。
出典:二宮翁夜話
人の心から生じる心は真心といい、人の身体から生じる心を私心としています。
そして、私心は田畑に生えてくる草のように、放っておくと道心を荒らしてしまうので、私心は定期的に草刈りして、米や麦を育てるように工夫を用いて仁義礼智の徳性を養うのが大事であると続けています。 - 人の賤む所の畜道は天理自然の道なり。
尊む所の人道は、天理に順うといえども、また、作為の道にして、自然いあらず。
出典:二宮翁夜話
人が賤しむ畜生の道は自然にある道であるが、人が尊ぶ人の道は作られた作為の道であり、自然にある道ではないと述べています。
だからこそ、人道は自然にある道だと勘違いせず、怠れば人の道は廃れてしまうものだと続けています。 - 前恩を記し以て之を報ぜんと欲する者は、事をなせば必ず成る。
前恩を忘れて後恩を貪る者は、事をなせば必ず敗る。
出典:二宮先生語録
人から受けた恩を忘れず、その恩に報いようとする人は、事業を成功させることができるが、人から受けた恩を忘れ、人からの恩恵を貪る者は成功はしないと述べています。
出典、参考リンク
二宮尊徳の関連書籍 hotoku.or.jp コトバンク Wikipedia nippon.com

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