日本の名言・格言 - 中井源左衛門 一代で商売を拡大し複式簿記を考案した近江商人 名言、生涯
中井源左衛門の生涯、名言などを紹介します。
中井源左衛門とは

- 日本の商人
- 20両を元手金として合薬行商から身を興し、商売を大きく発展させ、5.6万両もの資産を築いた
- 支店管理のために合資組織を採用し、決算のために複式簿記を考案するなど、近代的な経営を行った
- 家訓である「金持商人一枚起請文」を残し、贅沢を禁じ、倹約と勤勉を説いた
中井源左衛門の出身・生涯
- [1716年~1805年]
- 蒲生郡日野(滋賀県日野町)の漆器の製造販売を営む家に生まれる
- 幼いころ、家は困窮になり、雇われの職人暮らしを送る
- 1734年、19歳のとき、20両を元手金とし、関東で売薬行商を行う
- 1749年には、下野国大田原、その後、仙台や伏見、後野などに日野屋の店舗を拡大する
- 産物回しにより古着や繰綿、生糸、青苧、漆器、紅花などの商品を扱い、質屋や大名貸しの金融業、酒造業も営む
- 1788年には京都店を出店する
- 1794年、79歳のときに隠退する
- 1800年、仙台藩より名字帯刀を許される
- 家督は中井源左衛門光昌が継ぐ
中井源左衛門の名言・格言

中井源左衛門の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは中井源左衛門の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- もろもろの人々沙汰し申さるるは、金溜る人を運のある、我は運のなき杯と申は、愚にして大なる誤なり。運と申事は候わず。
金持ちにならんと思わば、酒宴・遊興・奢侈を禁じ、長寿を心掛け、始末第一に、商売を励むより外に、仔細は候わず。
出典:金持商人一枚起請文
金持ちは運ではなく、酒宴や遊興、奢りを禁じ、長生きを心掛け、商売に励むことが重要だと述べています。 - 運と申す事の候て、国の長者と呼ばるることは、一代にては為しがたし。
二代、三代もつづいて善人の生まれ出るなり。
出典:金持商人一枚起請文
金持ちになるには運次第では無いが、国の長者と呼ばれるほどの人物になるには運も関係すると述べています。
長者になるには、一代だけで成し遂げることは難しく、二代三代と続く中で善人が現れることが必要であるということです。 - 欲ふかく、山事・不実の心持ちあらば、一旦、金持ちというとも、ついには、神仏の恵みに洩れ、貧人と成り候べし。
出典:金持商人一枚起請文
欲が深く、投機的な行為や不実な気持ちがある人間は、金持ちになったとしても、いつかは神仏からも見放され、貧しくなると戒めています。 - 始末と吝きの違いあり。吝光は消え失せぬ。
始末の光明満ちぬれば、十万億土照らすべし。
出典:金持商人一枚起請文
倹約はケチとは異なり、ケチで貯めた金はすぐ消え失せるが、倹約で金が貯まれば、世界中に良いことをもたらすと述べています。
出典、参考リンク
中井源左衛門の関連書籍 Wikipedia コトバンク kawanaka-keiei.jp jstage.jst.go.jp
日本の名言・格言 - 中井源左衛門 一代で商売を拡大し複式簿記を考案した近江商人 名言、生涯