日本の名言・格言 - 毛利元就 権謀術に長けた稀代の策略家 名言、生涯
毛利元就の生涯、名言などを紹介します。
毛利元就とは

- 日本の大名、戦略家
- 策略家として知られており、一代で小国から領土を大きく広げた
- 毛利家が繁栄し続けられる仕組みを築き上げた
毛利元就の出身・生涯
- [1497年~1571年]
- 安芸の国人領主・毛利弘元の次男として誕生
- 1500年に弘元は家督を嫡男の興元に譲る
- 1516年に興元は急死し、その嫡男・幸松丸が家督を継ぐが、元就は叔父として後見する
- 1523年、幸松丸が死去し、元就が家督を継ぐ。他勢力の意をくむ家臣団の対抗など、家督問題を契機とし、尼子経久と敵対関係になる
- 1530年代、備後の多賀山通続を攻めて降伏させるなど、領土を広げ、周りの国々との関係構築などを行う
- 1540年代、尼子経久の後継者である詮久に大軍で本拠地を攻められるが、それを撃退
- 1546年、隠居し、隆元が家督を継ぐが、その後も毛利家の長として勢力拡大を担う
- 1550年代、様々な策略や他勢力の内紛などにより、大内氏の旧領の大半を収めるなど、領土を拡大
- 1566年、尼子氏を実質上滅ぼし、中国地方の多くを手に入れる
- 1571年に死去
毛利元就の名言・格言
毛利元就の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは毛利元就の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 元就は、武勇も、度胸も、知恵才覚も人より優れているわけでもないのに、どういうわけか、戦乱の世をすり抜けてこられた。
一日でも早く、現世にあって残りの人生を楽に過ごし、心静かに後世を祈りたく思っているが、今の世の有様では不可能であるのは、是非もないことである。
出典:三子教訓状 (五條小枝子「戦国大名毛利家の英才教育」を参照)
自身の力量を過大評価していない
領土の更なる拡大を臨んでいない - この矢一本なれば、最も折りやすし。
しかれども一つに束ぬれば、折り難し。
汝ら、これに鑑みて、一和同心すべし。 - 天下の治乱盛衰に心を用うる者は、現世に真の友一人もあるべからず
- 一年の計は春にあり、一月の計は朔にあり、一日の計は鶏鳴にあり
- 私は思いの外、多くの人を殺してしまったので、いずれ、その因果の報いを受けるであろう。
それゆえ、各々方も、このことを十分心して、身を慎むことが大切である。
出典:三子教訓状 (五條小枝子「戦国大名毛利家の英才教育」を参照) - 私は厳島を大切に思う気持ちがあり、長い間信仰してきた。
折敷畑の合戦の時も、敵船に不意に襲われた時も、厳島のご加護で大勝利を得られた。
出典:三子教訓状 (五條小枝子「戦国大名毛利家の英才教育」を参照) - 隆元は、隆景と元春を頼りにして、内外の一切のことを申し付けよ。
~省略~
今、どんなに自分の家中を存分に治められると思っていても、も し、毛利の家が弱くなってしまえば、人の心持ちは変わるのだから、 二人とも、よくわきまえることが肝要である。
出典:三子教訓状 (五條小枝子「戦国大名毛利家の英才教育」を参照) - 三人の仲に少 しでも隔て心があれば、三人とも滅亡すると思え。
~略~
たとえ家を保ったとしても、家名を失って、一人二人が存続しても何の役に立 つとも思われぬ。
そうなったら、憂いは言葉には言い表せぬ程である。
出典:三子教訓状 - 私は十一歳から、今なお、毎朝祈願を欠かさず続けている。
それは、朝日を拝んで念仏を十遍ずつとなえることである。
そうすれば、行く末はむろん、現世の幸せも祈願することになる。
出典:三子教訓状
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