日本の名言・格言 - 宮崎繁三郎 圧倒的に不利な状況下でも敗けなかった軍人 名言、生涯
宮崎繁三郎の生涯、名言、ゆかりのあるものなどを紹介します。
宮崎繁三郎とは

- 日本の軍人
- 大正や昭和時代の陸軍軍人であり、ソ連軍との衝突や太平洋戦争において軍を率いた
- 軍内や占領下の人々を大事にし、圧倒的に不利な状況下でも、敗けることはなかった軍人
- ノモンハン事件では日本軍が大きな損害を受ける中、ソ連軍を撃退させた
- ビルマでは無謀な作戦指揮下で日本軍が壊滅する中、イギリス軍に善戦し、終戦まで軍を維持した
宮崎繁三郎の出身・生涯
- [1892年~1965年]
- 岐阜県で生まれる
- 1914年、陸軍士官学校を卒業し、歩兵第16連隊に配属される
- 1930年、ハルビン特務機関補佐官に就任し、満州の工作活動に関与する
- 台湾軍司令部参謀、第21軍司令部参謀などを経て、1939年に歩兵第16連隊長となる
- 1939年、ノモンハン事件では支隊に属して連隊を率い、ソ連軍撃退を行う
- 上海特務機関長、第13師団歩兵第26旅団長などを経て、ビルマ(ミャンマー)に送られる
- 1944年、インパール作戦では劣勢の中、イギリス領インド軍に対して善戦する
- 第54師団長となり、戦闘で大きな損害を受けつつ、軍を維持して終戦を迎えた
- 終戦後、ビルマ収容所に収容され、1947年に帰国する
- 東京都世田谷の商店街に「陶器小売店岐阜屋」を営み、1965年に亡くなる
宮崎繁三郎の名言・格言

宮崎繁三郎の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは宮崎繁三郎の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 全ては部下たちのおかげだ
出典:歴史街道
宮崎繁三郎はノモンハン事件、太平洋戦争での活躍を決して誇ることなく、聞かれるとこう答えたといいます。シンプルな言葉ですが、彼の性格を窺い知ることができます。 - 敵中突破で分離した部隊を間違いなく掌握したか?
出典:歴史街道
宮崎繁三郎が危篤になり、見舞いに駆け付けた部下に対して何度も繰り返した言葉です。彼が死の直前まで指揮官として部下を気遣っていたことが伺えます。 - 最少の犠牲で最大の効果をおさめるのが、戦闘の根本である。
それには量よりは質、質よりは和の体制をとらねばならない
出典:歴史街道
宮崎繁三郎のゆかりのあるもの
宮崎繁三郎にゆかりのあるものを紹介します。
宮崎繁三郎が残した実績や、人々からの評価を読み解くことができます。
- 陶器小売店岐阜屋
宮崎繁三郎は晩年、下北沢の商店街で小さな陶器店を営みました。とても愛想が良く自身の功績を誇ることもなく、多くの人は彼の経歴に気がつかなかったそうです。 - 吾輩はチビ公である
宮崎繁三郎の回想録のタイトルです。「チビ」は前線でペットとして飼っていたサルの名前でもあります。和やかなタイトルが人柄を感じさせます。
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