日本の名言・格言 - 北畠親房 南朝を指揮して京都を奪回した武将 名言、生涯
北畠親房の生涯、名言などを紹介します。
北畠親房とは

出典:菊池容斎「前賢故実」
- 日本の公卿、武将
- 南北朝時代に後醍醐天皇に仕え、劣勢となった南朝を実質的に指揮し、一時的に京都と鎌倉の奪回に成功した
- 村上源氏の血筋であり、後醍醐天皇の信任を受け、「後三房」の一人として称された
- 天皇の歴史と南朝の正統性を記した「神皇正統記」は後世に大きな影響を与えた
北畠親房の出身・生涯
- [1293年~1354年]
- 村上源氏の流れを汲む名門である北畠家に生まれる
- 1308年に公卿となり、1310年には参議、1311年には権中納言となる
- 1318年に後醍醐天皇が即位し、厚い信任を得て、1323年には権大納言となる
- 1330年、38歳のとき、養育を任されていた世良親王が死去して出家する
- 鎌倉幕府が打倒され、1333年に後醍醐天皇が還京すると、子の北畠顕家は陸奥守に任ぜられる
- 親房は顕家と共に多賀城へ赴き、義良親王(後村上天皇)を奉じて奥羽の政治の実権を握る
- 1335年、足利尊氏が鎌倉幕府の再興を目指す勢力の反乱を抑えた後、鎌倉に残る
- 後醍醐天皇は尊氏討伐を命じるが、1336年に尊氏は入京を果たし、後醍醐天皇は比叡山へ脱出する
- 1336年、親房は尊氏を討伐するために京へ戻り、顕家や楠木正成、新田義貞により、足利尊氏を京都から撤退させるが、最終的には制圧される
- 後醍醐天皇は比叡山へ脱出して南北朝の対立が始まる
- 1338年、顕家や義貞が戦死し、尊氏は征夷大将軍に任ぜられて室町幕府が成立する
- 1338年、親房は義良・宗良両親王を奉じて結城宗広らと南朝の勢力回復を図る
- 反幕勢力の結集を目指して活動するが、1343年に吉野に戻る
- 後醍醐天皇は死去しており、後村上天皇を擁して南朝の中枢として実権を握る
- 1351年に正平一統が実現され、1352年に入京を果たし、京都と鎌倉の奪回にも成功した
- しかし4か月程で正平一統は瓦解し、1354年に死去する
北畠親房の名言・格言
北畠親房の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは北畠親房の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 私の御心無くば、干戈を動かすか、弓矢を収められるか、天の命に任せ、人の望みに従わせられるべきであろう。
出典:神皇正統記
政治は私心を無くし、天の命に任せて、人々の望みに従うべきだと述べています。 - 代下りとて、自ら賤しむべからず。
天地の初めは今日を始めとす。
出典:神皇正統記
悲観せず、今日を天地の始めとして生きるべきだと説いているといわれています。 - およそ、保元、平治より、このかたの、みだりが激しさに、頼朝と云う人もなく、泰時と云う者ものなからましかば、日本国の人民いかがなりまし。
出典:神皇正統記
保元、平治の乱以降は戦乱が続いていたが、源頼朝も北条泰時も存在しなかったら、日本国はどうなったのだろうか、と述べています。
源頼朝と北条泰時の政治については賞賛した言葉です。
出典、参考リンク
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