日本の名言・格言 - 勝海舟 海軍設立を目指した豪快な武士 名言、生涯
勝海舟の生涯、名言などを紹介します。
勝海舟とは

- 日本の武士、政治家
- 幕末には江戸幕府へ海軍・国防の近代化を訴え、神戸海軍操練所を設立し、坂本龍馬などを教育する
- 幕府が劣勢となり瓦解する中、江戸総攻撃日の前夜に西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を実現する
- 明治維新後は、30年以上にわたり、旧幕臣の資金援助や生活の保護などを行う
- 山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれる
勝海舟の出身・生涯
- [1823年~1899年]
- 下級幕臣である勝小吉の長男に生まれる
- 直心影流の免許皆伝となり、蘭学・兵学を学び、長崎海軍伝習所に入る
- 1860年、遣米使節をアメリカへ派遣するため、咸臨丸を指揮し、アメリカに渡る
- 1863年、神戸海軍操練所を設立し、坂本竜馬などの教育を行い、1864年には軍艦奉行となるが同年に罷免される
- 1866年、第2次征長戦争に際し、軍艦奉行に復任し、会津・薩摩間の調停や長州との停戦交渉を行う
- 1868年、戊辰戦争で幕府軍が敗北する中、江戸総攻撃日の前夜に東征軍参謀である西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を実現する
- 1872年、明治政府の海軍大輔に任じられ、外務大丞や参議兼海軍卿、元老院議官などを務める
- 1874年、台湾出兵へ反対し、1875年に政府職を辞任する
- 30年以上にわたり、旧幕臣の資金援助や生活の保護などを行ったほか、西郷隆盛の名誉回復に奔走する
- 1887年、伯爵となり、その後は枢密顧問官として清国との対立や朝鮮出兵に反対する
- 足尾鉱毒事件に際しては、政府を批判し、田中正造を支援した
勝海舟の名言・格言
勝海舟の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは勝海舟の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 何時も勝敗の念を度外に置き、虚心坦懐、事変に処した。
それで、刺客の厄を免れ、瓦解前後の難局に処し、綽々として余地を保った。
出典:氷川清話
虚心坦懐:先入観や囚われの心を持たず、心にわだかまりもないこと - 天下の大勢は、門望と名分に帰せずして、必ず正に帰せん。
私に帰せずして公に帰するや必せり。
出典:勝海舟日記
江戸に登場して老中を説得しようとしたときの言葉だとされています。 - おおよそ邦家の御大挙は公明正大ならざれば衆心を服するに足らず。
公明正大に行わなければ、民衆を心服させることはできないという意味です。
将軍家の後継者問題において述べたものとされています。 - 皇国の当今の形勢、昔時に異なり、兄弟互いにせめぎ合いとも、外にその侮りを防ぐの時なるを知る。
出典:山岡鉄舟への書簡 - 今、官軍、鄙府(江戸)に逼るといえども、君臣謹んで恭順の礼を守るものは、我、徳川氏の士民といえども皇国の一民たるを以ての故なり。
出典:山岡鉄舟への書簡
出典、参考リンク
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