日本の名言・格言 - 石田三成 忠義に生きた知将 名言、生涯
石田三成の生涯、名言などを紹介します。
石田三成とは

- 日本の武将、大名、官僚
- 豊臣秀吉の右腕として辣腕をふるった正義感の強い忠義人
- 千利休の切腹や豊臣秀次の処刑、蒲生氏郷の毒殺説の黒幕ともいわれる
- 優れた知将である島左近を三顧の礼で迎えた
石田三成の出身・生涯
- [1560年~1600年]
- 近江の守護である京極氏の家臣である石田正継の子として生まれる
- 幼いときから豊臣秀吉の小姓として仕える
- 1582年、織田信長が本能寺の変で死去する
- 1580年代、豊臣秀吉の側近として功を上げる
- 1586年、名将として名高い島左近を召し抱える
- 1587年、九州攻めでは、官僚として兵糧や武器・弾薬の準備・補給を行う
- 1590年、小田原攻めでは、武蔵の忍城を水攻めにする
- 1592年、朝鮮攻めの文禄の役では軍奉行を務め、明との和議開始後は検地奉行を務める
- 1597年、慶長の役では後方支援を行う
- 1598年、豊臣家の五奉行の一人に加えられる
- 1600年、徳川家康が会津の上杉景勝の討伐に向かった際、毛利輝元や宇喜多秀家とともに軍を挙げる
- 関ヶ原の戦いで大敗し、京都六条河原で首を刎ねられる
石田三成の名言・格言
石田三成の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは石田三成の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 我大軍を率い、天下分け目の軍しかけることは、天地やぶれざる間は、かくれあらじ。
ちっとも心に恥じる事なし。
出典:常人紀談 - 汝に二心あるを知らざりしは愚かなり。
されど、義を捨て人を欺きて裏切りしたるは、武将の恥辱。
末の世までも語り伝えて笑うべし。
出典:常人紀談 - 成るべく、季節のものをば進上ありたし
出典:翁草 - 常に奉公人は主君より取物を遣い合わせて、残すべからず。
残すは盗なり。
つかい過ごして借銭するは愚人なり。
出典:江村専斎 - 大義を思うものは、首を刎ねられる最期までも、命を惜しむは、何とぞ本意を達せんと思う故なり。
出典:茗話記
出典、参考リンク
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