日本の名言・格言 - 伊奈忠次 関東の水を収めた代官 名言、生涯
伊奈忠次の生涯、名言、ゆかりのあるもの、関連動画などを紹介します。
伊奈忠次とは

- 日本の代官、大名
- 江戸時代初期の関東の治水、農業政策に多大な貢献をし、日本の中心となる江戸の経済基盤を築き上げ、多くの地名に名を残した
- その実績は、関東だけでなく東海地方にまで及び、新田開発や検地、寺社政策などの様々な分野に及んだ
- 利根川の東遷事業では、第一段階としての備前堤の建設により綾瀬川を荒川から切り離した
伊奈忠次の出身・生涯
- [1550年~1610年]
- 徳川家康に仕える伊奈忠家の嫡男に生まれる
- 1563年、忠家が三河一向一揆に加わり、出奔する
- 1575年、忠家が長篠の戦いで功を立て、家康の嫡男である信康に共に仕えるが、1579年に信康が自刃させられると出奔する
- 1582年、本能寺の変のとき、家康の伊賀越えへ帯同し、その後、忠家の旧領である小島(愛知県西尾市小島町)を与えられる
- 家康の近習として五ヵ国総検地代官衆の筆頭となり、豊臣秀吉の小田原北条氏攻めでは兵粮の輸送や道路整備などを一手に担う
- 秀吉によって家康が江戸に移封された後は武蔵国足立郡小室や鴻巣を与えられ、関東代官頭として活躍する
- 1603年、江戸幕府の成立後は、代官たちを駆使して幕領支配に貢献し、治水や灌漑工事、検地、新田開発、年貢収取なども担う
- 1610年に死去する
伊奈忠次の名言・格言
伊奈忠次の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは伊奈忠次の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 関八州を己の物のごとく大切に致すべし
徳川家康が伊奈忠次に掛けた言葉です。
治水や農業開発の重要性を理解していた家康は伊奈忠次に絶大な信頼を寄せており、この言葉へと繋がりました。 - 関八州は忠次によって富む
伊奈忠次の関東地方開発についての数々の功績は、上の言葉で讃えられました。
地域の住民からは絶大な支持を受け、神のごとく讃えられたそうです。
伊奈忠次のゆかりのあるもの
伊奈忠次にゆかりのあるものを紹介します。
伊奈忠次が残した実績や、人々からの評価を読み解くことができます。
- 備前堤
伊奈忠次(備前守)が工事を行った堤防の通称です。
洪水を抑え込むのではなく遊水地に誘導し、通常時は水が流れ込み肥沃になった遊水地で農業を行います。
農民の目線で考え、自発性を促した彼の考え方をよく表しています。 - 埼玉県伊奈町
伊奈忠次を輩出した小室藩に因んで名付けられた地名です。
地域の祭りや特産品の日本酒等でも伊奈忠次を強く推しており、その偉大さを伺い知ることが出来ます。
なお、茨城県の旧伊奈町(現つくばみらい市)は子の伊奈忠治所縁の地名です。
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伊奈忠次の関連動画
伊奈忠次の関連動画を紹介します。
伊奈忠次の生き方や考え方について、より深く知るために参考になる動画です。
説明動画 『伊奈忠次 関東の水を治めて 泰平の世を築く』 2018年
動画配信元:伊奈備前守忠次
説明動画 『伊奈忠次PR映像』 2018年
動画配信元:伊奈備前守忠次
説明動画 『伊奈氏の活躍について~郷土の取り組みから~』 2016年
動画配信元:観光協会伊奈町
出典、参考リンク
伊奈忠次の関連書籍 town.saitama-ina.lg.jp youtu.be town.saitama-ina.lg.jp Wikipedia
araijuku2011.jp ktr.mlit.go.jp edo-g.com
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