日本の名言・格言 - 井伊直弼 日本の開国と近代化を進めた赤鬼 名言と生涯
井伊直弼の生涯、名言、関連動画などを紹介します。
井伊直弼とは

- 日本の大名、老中、政治家
- 江戸時代後期の近江彦根藩の第15代藩主であり、江戸幕府の大老を務め、日本の開国・近代化を断行した
- 反対勢力の粛清(安政の大獄)を行い、井伊の赤鬼と呼ばれ、桜田門の変で殺害された
井伊直弼の出身・生涯
- [1815年~1860年]
- 彦根藩(滋賀県)の第13代藩主である井伊直中の十四男として生まれる
- 井伊直中は実子が多く、直弼は17歳から32歳まで部屋住み(家督を相続できない者)として過ごす
- 1846年、彦根藩の14代藩主である井伊直亮の養嗣子の直元が死去し、直弼は直亮の養子として彦根藩の後継者となる
- 1850年、井伊直亮が死去し、直弼が藩主となる
- 1853年、アメリカの黒船が来航し、1857年にはアメリカ総領事タウンゼント・ハリスが徳川家定に謁見し、公使の駐在と通商条約交渉の開始を要求する
- 1858年、江戸幕府は開国のために孝明天皇からの条約勅許獲得を目指すが失敗する
- 将軍継嗣問題と開国の問題の中で、徳川家定の意向により、直弼は大老に就任し、勅許無しに日米修好通商条約に調印する
- 徳川家定が没し、徳川家茂が江戸幕府の第14代将軍となる
- 無勅許調印を受け、孝明天皇が水戸藩へ幕政改革を指示する勅書を下賜する
- 1859年、幕府は密勅は水戸藩の陰謀とし、密勅に関与した公卿・皇族や水戸藩主等の隠居・謹慎などの処分、家老や幕臣などの免職・切腹・死罪・遠島などの処分が行われる (安政の大獄)
- 1860年、水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士1名により直弼は殺害される (桜田門の変)
井伊直弼の名言・格言
井伊直弼の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは井伊直弼の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 今更に、こと国ぶりをたのませや、ここにそんわるもののふの道
出典:笹部昌利 (編集) 『幕末維新人物新論』
桜田門外の変の直前、講武所の開講に臨んだ席で詠んだとされる和歌です。 - あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな
出典:彦根城 井伊大老歌碑解説
桜田門外の変の直前、井伊家の菩提寺に収めた短歌です。彦根城下の琵琶湖の風景に重ねつつ、自身が世のために尽くしてきたことを詠んでいます。 - 重罪は甘んじて我等一人に受候決意
日米修好通商条約の調印を決定した夜、再考を促した家臣に対しての一言です。国是を変えてしまった罪は自分1人で被るといった、悲壮な決意を伝えています。 - 咲きかけし 猛き心の 一房は 散りての後ぞ 世に匂いける
国を想うこの熱い心は後世には理解されるだろうという意味とされています。
桜田門外の変の前日に詠んだ和歌とされ、結果的に辞世の句になりました。 - そよと吹く 風に靡きて すなほなる すがたをうつす 岸の青柳
出典:柳廼四附
井伊直弼が詠んだ和歌の一つです。 - 春浅み 野中の清水 氷り居て そこの心を 汲む人ぞなき
井伊直弼が詠んだ和歌の一つです。 - 古今国家の盛衰存亡は、身を修むると修めざると、言路を開くると塞がるとに寄り候
井伊直弼の愛用書 、愛用品
井伊直弼の愛用書 、愛用品 を紹介します。
井伊直弼の大切にしていることを知り、深く理解するための手がかりになります。
- 茶湯一会集
井伊直弼は江戸時代後期を代表する茶人でもありました。茶道の石州流に新しい一派を設け、その考えをまとめたものが本書です。巻頭に記された「一期一会」の言葉は非常に有名です。 - 脇指銘 長曽祢興里入道乕徹
登城する際の殿中差として使用していました。虎徹は刀としての実用性と美しさを兼ね備えており、彼の政治、文化両方に秀でていた様子を象徴しています。
井伊直弼の愛用書
井伊直弼の愛用品
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井伊直弼の関連動画
井伊直弼の関連動画を紹介します。
井伊直弼の生き方や考え方について、より深く知るために参考になる動画です。
説明動画 『井伊直弼は鬼ではなく真面メンだった?』 2020年
動画配信元:もじもじ丸の歴史チャンネル
説明動画 『孤独な独裁者・井伊直弼の壮絶な出来事3選』 2019年
動画配信元:はじめての三国志TV・はじ三
説明動画 『5分でわかる【井伊直弼】今さら聞けない”桜田門外の変”』 2018年
動画配信元:Be-chan_nel
説明動画 『井伊直弼と不平等条約 CGS 倉山満』 2013年
動画配信元:ChGrandStrategy
出典、参考リンク
日本の名言・格言 - 井伊直弼 日本の開国と近代化を進めた赤鬼 名言と生涯