日本の名言・格言 - 蒲生氏郷 秀吉から恐れられた器量人 名言、生涯
蒲生氏郷の生涯、名言などを紹介します。
蒲生氏郷とは

- 日本の武将、大名
- 戦国時代の武将であり、織田信長、豊臣秀吉に仕え、秀吉の天下統一に尽力する
- 豊臣秀吉にも恐れられた器量人と言われている
- 伊達政宗を抑えるために、東北に封じられる
蒲生氏郷の出身・生涯
- [1556年~1595年]
- 1557年、近江国の蒲生郡(滋賀)において、近江国守護の六角氏に仕える蒲生賢秀の三男として生まれる
- 1568年、織田信長は足利義昭を奉じて上洛を開始したとき、六角義賢は三好三人衆と通じて織田軍と戦うが、大敗を喫する
- 蒲生賢秀も降伏し、蒲生氏郷を織田信長へ人質として送り、信長の家臣となる
- 1569年、織田信長と伊勢の北畠具教・具房親子との戦いが、氏郷の初陣と言われている
- 以降、氏郷は父・賢秀と共に柴田勝家の与力として活躍をする
- 朝倉家や浅井家、武田家との戦いなどへ参加する
- 1582年、織田信長が本能寺の変で亡くなり、同年、蒲生氏郷は父から家督を譲られる
- 羽柴秀吉の家臣となり、小牧・長久手の戦いや紀州征伐、小田原征どへも出陣
- 1590年、伊勢から陸奥国会津に移封される
- 1592年の文禄の役でも出陣
- 1595年に亡くなる
蒲生氏郷の名言・格言
蒲生氏郷の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは蒲生氏郷の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 知行と情とは、車の両輪、鳥の翅のごとくにて候。
その身の不便をば苦労になされまじく候。
家中の摺切をいたわりたまわえ。
出典:教訓状
家臣には知行ばかりを与えても、情けがなければよくないことであり、知行と情けは車の両輪や鳥の両羽と同じであることを述べています。 - 上級武士として重要なことは、ただ武勇ある者を多く召し抱えることだ。
武勇の誉れさえあれば、身を立てることができる。
日本の名言・格言 - 蒲生氏郷 秀吉から恐れられた器量人 名言、生涯