日本の名言・格言 - 藤堂高虎 主君を8回も変えて出世した処世の達人 名言、生涯
藤堂高虎の生涯、名言などを紹介します。
藤堂高虎とは

- 日本の武将、大名
- 戦国時代から江戸時代の大名であり、8度主君を変えることになった人物
- 築城技術に長け、徳川家に重用される
- 一土豪から伊予今治藩主、伊勢津藩主となる
藤堂高虎の出身・生涯
- [1556年~1630年]
- 1556年、近江国(滋賀県)の土豪である藤堂虎高の次男として生まれる
- 藤堂虎高は甲斐の武田氏に仕えた後、近江に帰国し、藤堂忠高の婿養子となり、京極氏、浅井氏に仕えた
- 浅井家に仕えたが、1573年に浅井家が織田信長によって滅ぼされる
- 浅井氏の旧臣の阿閉貞征、浅井氏の旧臣の磯野員昌の家臣として仕え、近江国を離れ織田信澄の家臣として仕える
- 1576年に羽柴秀長(豊臣秀長)に仕える
- 丹波攻め、中国攻め、紀州征伐、九州征伐などに参加し、功績を上げる。
- 豊臣秀吉が天下統一し、1591年に秀長が死去。
- 甥で養子の豊臣秀保に仕え、文禄の役にも出征
- 1595年、秀保が死去して出家するが、呼び戻され、伊予国板島の大名となる
- 1600年、徳川家康による会津征伐に従軍し、関ヶ原の戦いでも徳川方で戦う
- 徳川家康より、今治城が加増される
- 江戸城改築や大阪冬の陣・夏の陣にも参加し、功績として加増され伊勢津藩を治めることになる
- 徳川家康の死後、徳川秀忠、徳川家光にも仕える
藤堂高虎の名言・格言
藤堂高虎の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは藤堂高虎の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 若者の遊山を好むは然るべからず。
御奉公の道油断なくすれば游山がましきこと存ぜず。
出典:遺書
若者が游山などを好むことは良いことではないと戒めています。
奉公のことを油断なくこなしていれば、游山のことなどを考えることは無いと述べています。 - 我が女房に情なく当たる者あり。
大いに道に違いたることなり。
出典:高山公実録
妻に辛く当たる人は、人の道に逸れた者であると戒めています。 - 常に良き友とはなし、異見をも請け申すべく候。
善悪は友によると聞こえ候事。
出典:遺書
人は接する人によって左右されやすいものなので、常に良い友と交流し、異なる意見でも聞き入れるべきであると述べています。 - 少しの物も人の物は借るまじきなり。
たとえ、借りとも、追つき戻すべし。
出典:高山公実録
わずかなものでも人の物は借りるべきではなく、借りたとしても直ぐに返すべきだと戒めています。 - 寝屋を出るよりその日を、死番と心得るべし。
かように覚悟が極まるゆえに物に動ずることなし。 - 仁義礼智信、一つでも欠ければ、諸々の道は成就しがたい。
日本の名言・格言 - 藤堂高虎 主君を8回も変えて出世した処世の達人 名言、生涯