日本の名言・格言 - 朝倉孝景 応仁の乱の戦局を変えた武将 名言、生涯
朝倉孝景の生涯、名言などを紹介します。
朝倉孝景とは

- 日本の武将、大名
- 室町時代から戦国時代における越前国の軍略に優れた武将
- 応仁の乱では山名氏の側から細川氏の側へ寝返り、細川氏が圧倒的に優位となる
- 越前国守護となり、戦国大名の基盤を築いていく
朝倉孝景の出身・生涯
- [1428年~1481年]
- 法名である英林孝景とも呼ばれる
- 越前の守護である斯波氏に仕える朝倉教景(のりかげ)を祖父にもつ
- 孝景の父は早くして亡くなったため、教景が孝景を補佐した
- 1458年、守護代の甲斐常治とともに、守護の斯波義敏と対立して戦い、甲斐常治を勝利に導いた
- 1467年からの応仁の乱では、主家の斯波義廉ととともに山名持豊(宗全)率いる西軍として戦う
- 1471年、西軍から細川勝元率いる東軍に寝返り、東軍が優位となる
- 孝景は越前の領国化を進め、斯波氏に代わり越前守護に任じられる
- 1481年、死去し、嫡男の氏景が越前を統一する
- 連歌・和歌などに親しんだと言われている
- 公領や公家領・寺社領の押領を行い、寺社や公家からは嫌悪される
朝倉孝景の名言・格言
朝倉孝景の格言や名言などを紹介します。
一つ一つの言葉からは朝倉孝景の考え方や理念、大事にしていることを知る手掛かりになるかもしれません。
- 吉日を選び、方角をととのえ、時日を逃すこと口惜しく候
- 人の上に立つ主人たるべき者は、不動明王と愛染明王のごとくあれかし
- いかによき日なるとて、大風に船を出し、大勢に独り一人で向かば、その甲斐あるべからず候。
- 宿老(家老職)を定むべからず。
その身の器用と忠節によりて申しつくべきのこと。 - 家中諸奉公人の内、たとえ不器用・不調法で候とも、一心健固の者には、別して、愛隣を加えられるべく候
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